お彼岸とか法事でお墓に行くと、たま~に誰かが転ぶのを見かけたことはありませんか?
よくお墓で転ぶと良くないことが起こる、みたいに言います。
で、大方の人は「そんなの迷信に決まってるじゃん!」となります。
私も迷信だと思いたいけれど、実のところお墓で転ぶ様なことをしでかして、体を壊した人が私の身近にいるのです。
だから、迷信だと120%決めつけてしまうのも「何だかな~?」みたいなところがあります。
「じゃ何?霊の仕業とかいうの?」
そうは言い切れません。でもちょっと話を続けてみましょう。
叔父が通風で歩けなくなった?
お墓で転ぶと悪いことが起きる、というのは、ひとまず迷信だ、としておきましょう。
その迷信の中にはお墓で転ぶ結果、
- 死ぬ
- 災難が起きる
- 足(腕)をなくす
みたいなことが、それこそネットを探すだけでいくらでも言われています。
「そんなこと本当にあるわけない。全部迷信だ。」
というのは簡単ですが、でも実際お墓で転ぶなどした人が、何らかの災難にある事があるみたいです。
たとえば私の叔父。
つい最近、お彼岸に自分の家のお墓参りをしたのですが、お墓の入り口の石造りの階段に足を取られ、うっかり転びそうになったと言います。
転んでしまったり尻餅をついたようなわけではないですし、叔父自身、
「お墓で転ぶと良くない、なんて迷信に決まってるだろ」
と、一応常識的な頭は持っていました。
ところがその数日後。
叔父はどういうわけか、左の足に激痛起こり、完全に寝たきりに近い状態になってしまったというのです。
話を聞くと、そのちょっと前に左足の親指を酷く階段や柱に打ち付けてしまったとのこと。
その時点ではジンジン痛かったそうですが、放っておけばそのうち治る、と思ってふつうに過ごしていたそうです。
ところが、痛みはどんどん増し、しかも左足は今まで見たことがないような腫れが出てきて、終いには完全に歩行困難。
夜は激痛で一睡もできなかったとか。
その後ビッコを引きながら何とか最寄りの整形外科医にかかったそうですが、そこで言われたのは痛風。
前から尿酸値が8と9の間を行き来していた叔父は、結局単なる打撲ですまなくなったそうです。
お墓で転ぶのが迷信だというのは私も思います。
けれどもこういう風に偶然にしろ、迷信の内容と一致するようなことが実際に起こってしまうと、やっぱりちょっと怖くないでしょうか?
迷信と実際の叔父の病気をつなげることはムリ!けれども1つ考えることが
もちろんこの叔父の場合、元々そういうわけで痛風の発作を引き起こすような尿酸値の高さがあったわけなので、まさかお墓で転ぶ、というより「転びかける」ことが本当に悪い知らせだったなどとは考える必要はありません。
私もスピリチュアル的なことは少々の体験もありますし、自分なりに信じているところもありますが、ハッキリ言ってお墓で転ぶから不幸がやってくるとか、命を落としたり病気になるとか言うこと自体は迷信です。
けれども、それでも何らかのポイントがあるように思うのです。
もちろんそれは迷信とかでもないのですが、かといってスピリチュアル的な要素を全部否定しては成り立たないかも知れません。
お墓で転びかけたことが「注意信号」?
それはどういうことかというと、叔父のケースに戻りますが、彼の場合、転ぶまではいかなかったもののお墓で転びかけたというのは確かなこと。
要するに、加齢や運動不足などで、叔父は足腰がやや弱ってきていた、と言うことが言えるのかもしれません。
実際、50代になってから数年経ちますが、叔父は多忙のあまり運動もしなくなってしまっていた、と語っています。
だからその後痛風の発作を起こすちょっと前から、足の指を階段や柱に打ち付けた、と語っているとおり、運動能力が落ちてきていた、とも言えるようです。
だから、スピリチュアル的な考え方を言ってしまうと、お墓で転びかけたのは、そういう運動不足のために足腰が衰えてきていることを示していて、同時に足腰の病気をしないように、「あの世から注意信号を送られていた」。
そういう考え方もできるのでは、と思います。
もちろんごくごく理論的、現実的に考えればたまたま足腰が弱った結果、お墓で転ぶ、転びかけるようなこととたまたま時点が重なったといえるし、ふつうはそう考えて良いでしょう。
以前からお墓で転ぶことを予言されていた?
ただ、もうちょっと内情を語ってみると、実は叔父がいつかはお墓で転ぶかも知れないと、“予言”されていたことがあるのです。
予言したのは他でもない、私がちょっと親しくしていただいている「その筋の人」。
だから今回の叔父の病気やお墓で転ぶようなことは、現実とずいぶん符合している様に思えました。
だから、たんに100%迷信とは思えないという最初のハナシに戻るのです。
役に立つ迷信もある?すべて否定するのは慌てすぎ?
叔父のてんまつを迷信と一言で片付けてしまうにしろ、迷信の中にはいろいろと昔からの戒めとか教訓のようなものもあります。
たとえば、雷の鳴る夏におへそを出す子供は、おへそを取られる、という話。
聞いた方も多いと思いますが、あれは雷が鳴って夕立が来ると、急激に気温が下がるのでおなかを冷やしてしまうためです。
だからそんなときにはおなかを冷やさないように服を着るようにしなくちゃいけない、という教訓の意味があるのです。
このように、迷信も全部否定するには惜しいような、すごく大切な教訓もあるので、全部非科学的だとか言ってしまうのは行き過ぎかもしれません。
けれども、上のようなスピリチュアルな意味合いはさておいても、実際にお墓で転ぶと何がいけないのか?
叔父はたまたま運動不足だったにしろ、おへそを取られるようなピッタリした根拠がなさそうなので、私も悩んでいます。笑
神野天希(かんのあまね)