貴女はえもいわれず線香の匂いがした、という経験はないだろうか?
霊感なんかあるわけないのに、線香の匂いがしたという不思議な体験を持つ女子が今私のそばにもいる。
でもそもそも霊感がない、あるなんて自分でわかるのだろうか?
これは本当に霊感が強い、と自他共に認めている知人の話だけれど、そんな忽然と線香の匂いを嗅ぐ事が、もしや貴女にもあるかも知れない。
一体それは何の意味だろうか?
霊感と関係あるのかどうか、そしてどうすればよいのか?
その知人に尋ねてみたレアな情報をご紹介したい。
霊感の強い彼女が「線香の匂いだから“安心”と取るのは早計」?
まずその知人の話だけれど、
霊感とかあの世とかを一応信じた上で真っ先に言い置きたい事があるそうだ。
それというのは、線香の匂いというものは、もちろん何らかの霊現象の現れと見るべきだという事。
霊感のある人は、匂いにそれを感じる人がいる。
まずこれが一つある。
けれどもそこで止まったままではいけない、との事だ。
つまりなぜかというと、そういう線香の匂いとか香を焚く匂いがするときには
「良いものも悪いものもあるから」
とのことだ。
確かに線香の匂いなどをあり得ないところで嗅いだら、怖いに決まっているけれど、それでも中には
「ご先祖が守ってくれている」
「死んだ肉親や友人が会いに来てくれている」
と、ポジティブに取ろうとする人もいる。
わざとそういう風に見せて信じさせようとする場合も
確かに気持ち的には間違いないかも知れない。
けれど、ぜひ知っておきたいのは、なまじ霊感が強かったりすると悪いものだって引き寄せてしまう。
そういう風に自分自身の死んだ身内が来ているように思わせるよこしまな霊などもいて、生きている人たちを騙したりするという話だ。
そして、酷い場合には悪い道に引きずり込む、命を奪おうとする場合だってある、という。
霊感の強い人でも危険?無邪気過ぎる“怖いもの見たさ”のは禁物に
このケースでその知人がよく引き合いに出すのだけれど、例えば関東圏だったら千葉県の富津市という東京湾沿いの街に、『東京湾観音』という大きな観音像がある事はご存じな方もいるだろう。
ところがそこは良く言う『心霊スポット』といわれている。
観音像の体内に続く階段で上の方まで登れるのだが、これまで多くの人たちが像の頭部の窓から飛び降りて命を落とすということが続いていた。
その知人の彼女はそれと知らず、観光名所とだけしか知らなかったので同じように観音像の体内の階段を上っていったそうだが、
“なんだか妙に空気が重苦しかった”
そうだ。
そしてもの凄く不安な気持ちに襲われたとか。
「あくまでも私の思い込みかも知れない、と付け加えておくけれど」
と彼女。
そして少なくとも逆にそういうところとわかっていながら、肝試しのようにして訪れるのはどうかと思う、と語っている。
「そもそもあの観音様の体内だって線香を上げたりしてそういうにおいが充満していたわけよね。結局線香の匂いがしたから安心だ、というのは少し立ち止まって考えてみた方が良いよね」
もしも線香の匂いを『良いもの』と感じ取りたいなら
だから、一概に線香の匂いがするからと言って全部が全部、良い例がいるとか、ご先祖が来ているとか思う事に繋がるとは限らない、という。
もちろんそれでも霊感が働いて、そういう「人たち」を感じる人もいるかも知れない。
けれど、もしも霊感があって、その上で良い事として線香の匂いを愛でたいなら、何はともあれ次の事をしっかり覚えておくべきだ、と語るのだ。
- 邪気を感じないもの、またそういう場所に限る事。
- ご先祖や産土の神など、自分を守ってくれている人たちに感謝の気持ちを忘れな事。
だから心霊スポットだから言い期待とか、怖いもの見たさで線香の匂いに興味があるとか言うのは、もうすでに気持ちの上で間違いだ、という事だ。
そして、そういう気持ちの間違った人に対して、結局近寄ってくる「もの」もそういう手合いでしかない。
下手をすれば不幸を自分で呼び寄せてしまうようなものだ、という。
霊感やあの世の有る無しはやがて誰でもわかる事
人間である限り大なり小なり必ず霊感というのは誰でも持っているそうだ。
ただ、その発露とか養う度合いが人それぞれで、例えば線香の匂いを感じても単なる錯覚、と決めつける人だって多い。
けれどもその霊感が強いといわれる知人に言わせれば、あくまでもそういう知覚の働く人というのはすごく細やかな知覚もあるし、いつも研ぎ澄ましている。
逆に、もちろんそんな霊感とかあの世の存在を真っ向から否定する人だっていくらでもいるし、むしろそんなものを前面に出して主張する人が変人に見られてしまう、そういう風潮が今なお続いていると言えるだろう。
けれども知人の彼女はそれはそれでしょうがない、と考えているそうだ。
それにも理由は二つある。
- 一つには、霊感とかは他人に証明出来づらい、ということ。
信じる他ない、だけれども安易に信じてしまうと今の世の中、それを悪用してお金を巻き上げたりする人たちがいくらでもいる。 - もう一つは、おっつけ誰だっていずれはわかるときがくる、という。
「だってみんな寿命が来れば死んじゃうでしょ。死ねばあの世があるかどうか、自分自身で絶対わかるじゃない?」
そんな事を平然と語る、ヘンなところでのんびりタイプのお嬢さん。
私も線香の匂いをかぐのは仏壇と決まっているけれど、確かにこれだけは彼女の言うとおりに違いない。
石井貴瑛 いしいたかあき