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売れ残り女性が哀れにも人生詰んでいる?考え方は変えずにこうしたらどうだろうか、という件

売れ残り女性が哀れにも人生詰んでいる?考え方は変えずにこうしたらどうだろうか、という件

売れ残り女性というと、まさしく自分のこと。
自分自身で哀れと思っていれば世話はないのだが、この先どう見ても先細りしかない。

でも何かどこかによい手立て、あるかもしれない。
私と同じように自分が哀れな売れ残りだと思ってしまっている女性もいるかもしれない。
そういう人はこういう風に私と同じことを考えていることだろう。

高望みが良くないといわれるけれど、自分を守るためにそれを捨てられない。
だからいっそう売れ残り女性は哀れなのだ。

いろいろとチエを絞って私も考えてみた。
こうしたらどうか、という独自の提案だ。

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売れ残りといわれたとしても過度に自分を哀れに見る必要はない?

売れ残り女性という人たち、もちろん私も含めてだけれど、私がOL事大に努めていた職場で男性の同僚たちといろいろ語らったことがある。

その中で男性たちが思うことは、未婚者でも既婚者でも、外見はそんなに変わらない、一見分からない、ということだ。
婚活女性にとってはずいぶん痛い、それこそ結婚相手を探している女性にとっては哀れを誘う言い方かも知れない。

何とかして男性の気を引こうとしてそれなりに化粧をがんばっているわけだし、身仕度だって既婚の主婦の人たちとは一回り違う、そういう心がけをしているはずなのだ。

私も聞いた相手が悪かった、とも今後悔しているのだが、しかしながらこれはある意味朗報ではないだろうか?

それというのも、結婚している女性と同じくらいの見栄えであると言うことは、売れ残りなどと言われてしまう私たち未婚者は、外見上そういう既婚者に見劣りしていない、ということでもある。

自分で自分が哀れに感じるのがイヤだから、かも知れないけれど。
すごく天然で楽観かも知れないけれど、同じように見える既婚女性がいるならば、そういう彼女たちに引けをとらないような見え方になっている私たち。

ゆくゆくはちゃんと結婚できる、そういう可能性は捨てなくて良いわけだ。

だからまず私たちの婚活のモチベーションを高める一つのチップとして、売れ残りだとか、過度に女性は自分で自分を哀れに思う必要はないのではないだろうか。

まずこういうマインドからの出発点が必要だと思うのだ。
女性

高望みを無理に捨てる必要ない?売れ残り女性が逆転できる方法とは

そして私も自信をたっぷり持って言えることなのだが。

私も実は婚活で、結婚相手に対して良く高望みしすぎる、とも言われる方だ。
だがよくよく考えてみれば、そう言われるからといって無理に自分の希望を低める必要も内容に思うのだ。

なぜかと言えば、今の婚活に私は大いに疑問を持つから、ということが一つある。
今の婚活の実態、婚活パーティーとかコンパに出席した方だったらご存じの通りの弱肉強食、玉石混淆。

しかも最悪に悪い意味でそれが横行しているように思えてならない。
遊び半分で出席している男女がいる、既婚を偽って刺激を求めに来る既婚者もいたりする。

そして業者側からはサクラやヤラセ。
そしてついでに言えば、正しく婚活目的でサイト登録したり、出席した会員であったとしても知らないところで別な相手がいたりする。

これが婚活の実態だ、と言われてどれだけ反論できる人がいるだろうか?

自分が売れ残りだと分かっていながら、そうした危険をイヤでも避けなければならない哀れな女性。
それが私たちだし、また私たちが自分自身を守るためにも相手に対する“高望み”は、いわば「最後の砦」。
最低限の防衛線になってくれているのだ。

だからあえて言ってしまうけれど、高望みを捨てるのは、その分ある意味非常に自分がリスクを覚悟することと表裏一体になる。

怪しげな出会いによって、それこそ人生が詰んでしまうことになりかねない、そういう危険を招くことだって大いにありうる。
それを考えれば無理に捨てて、条件をいたずらに低めること自体がどうかと思えるのだ。

むしろそういう自分の高望みはそのままにしながら、良い出会いを作れれば良い。
虫が良いかも知れないけれど、考えるだけならそういう思考も損ではないのではないだろうか。

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いろいろと水平思考を展開してみるのも手?

私は売れ残りだから、と言って焦っても必死になっても、そういうことをするほど結果は遠のくもの。
多くの女性がそう感じているのではないだろうか?

自分の必死さ加減をあらわにすると、男性の方でもやっぱり引いてしまうし、そしてまたよけい自分が哀れになるものだ。

あくまでも提案としてだが、そこでそういう直線的な思考でもって努力してもムダが見えているようなときにとるべき方法として、
「水平展開」
してみてはどうか、ということが一つあげられる。

「押してもダメなら引いてみな」
みたいなものだが、たとえば婚活パーティーの会場でたまにはぶっちゃけ食べる、飲むことを目的に来たりしてみるのも良いかも知れない。
その方が気分的にも哀れになりすぎず、気晴らしにだってなる。

婚活業者の方でも費用は女性に甘くなっているところが多いから、要するにお昼を食べに来た、ディナーを楽しみにくつろぎに来た、みたいな感覚だ。
宴会
要するに婚活自体に目的を絞らない、ということ。

婚活パーティーに行ってみると、男女どちらもが目をぎらつかせて語らう相手を品定めしている「気迫」を感じてしまう。

私などはそういう緊張した雰囲気がなじめない方なので、むしろ上の様な水平展開の方がけっこうありがたいのだ。

また、婚活という枠から外れて、出会いというのをもっと多角的に考えてみるのも手だ。
結婚相手に絞った出会いでなく、話し相手とか趣味で出会う相手、そして男性に限らずそういう気心を分かち合えるような女性。
さらには自分のアドバイス役になってくれるような、ちょっと年長の方たちなど。

売れ残りを直接的に解消してくれるものではもちろんないけれど、焦る、必死になる気持ちを基本のところから改善するのはそういう大きな人の輪の中に入ってみることが必要ではないだろうか?
そして、そういう自然な人間関係の中でなにがしかの縁も自然と出て来るものだと思う。
その時始めて、自分の高望みの気持ちやルールを外していけば良い。
というか、相手の男性が好きになることで自然とそういう自分の中の高望みは氷解するものだ、と思うのだがいかがだろうか?

売れ残り女性は今の社会の縮図?

でも、今の世の中をよく考えれば、婚活だけに限ったことではなく、すごくいろいろと人間同士の出会いが限られているように思えてならない。

出会い自体は確かにいろいろな人たちとあるかも知れないが、それがなんだかもの凄く尖鋭に、それこそ欲得ずくの出会いになっているように感じる。

たとえば中学、高校の時であってもいじめがあったりして、ふつうの健全な友人たちとの交流が失われかけている様に思えるし、成長して社会に出て仕事をすればそういうどろどろした人間関係がいくらでもある。

それを考えれば婚活という特殊な出会いの方法を続けなければ結婚相手さえ見つけられない女性たちは、確かに哀れだし、またそういう今の人間関係の縮図のようにも思えてしまう。

それを自分自身で改善するためにも、婚活からもっと視野を大きくした出会いを、より多くの人たちとの間につくる必要があるのではないだろうか。

そんなわけで、大ナタを振るってしまったようなハナシになってしまい恐縮なのだが、何かのヒントになることがあると信じたい。
ぜひ良い出会いを、私と同じ女性の方たちにお祈りしたい。

阿部しおり

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