年齢的にけっこう落ち込む時が多いんじゃないだろうか?
私は本当に婚活などで落ち込む時が多い。
でもそういう時、スピリチュアル的な考え方を知っているとすごく力になることが多い。
というか、落ち込む時似よくあることだけれど、そういう時は溜まらなく孤独な気持ちになるし、何の助けも得られない、本当に自分なんかダメな女だ、みたいに自暴自棄にとりつかれることだってないだろうか?
でもスピリチュアルという考え方を知り、その存在を万一だけれど身をもって体験などしてみたら、その後のものの考え方とか自分自身の見方など、大きく変わる可能性もあるにちがいない。
落ち込む時というのがそういうスピリチュアルへの入り口、と言いきるのはリスキーな部分も確かにあるけれど、だが知っておくだけならぜひともそうしていただきたい。
落ち込む時というのは、スピリチュアル的にみればステップアップの時?
落ち込む時というのは、一言で言えないほどに多岐にわたるしレベルもまちまちだ。
そういうものを一絡げに言い切ることは僭越すぎるかも知れないが、スピリチュアル的な見方からした場合、落ち込む時とか悲しみ、苦しみに心が直面してしまったような時は、自分がいわば試される時に当たる。
そしてスピリチュアル的には、それを乗り越え、自力で解決した時には自分の人格なり精神力が一回り大きくなること。
つまり乗り越えればそれだけの大きな収穫がある、ということを主張するものだ。
だから、いろいろな状況があるだろうし、中には軽々しく取り扱うことをはばかるほどの深刻な場合だって無数にある。
そういう場合をあえて取り上げるつもりはないけれど、しっかり自分というものを見失わず、そういうハードルは乗り越えるべきもの。
そのように考えるのがスピリチュアル的な思考になる、といえるようだ。
落ち込む時には自分の力だけで克服するのが最良の方法に
そして、スピリチュアル的な考え方のもう一つのものとして、そういう落ち込む時、あくまでも人に頼らず自分の力で何とかして克服し、乗り越えることが一番自分の成長につながる、ということだ。
これにもいろいろなケースが考えられるけれど、スピリチュアルというと誰もがすぐに思い浮かべるのが、霊の存在。
よく知られているのは浮遊霊とか地縛霊などという低い波長の霊。
そういう霊もいるけれど、そうではなく自分たちの身の回りにいて、そしていろいろと影響を生きている人たちに与えていたりする霊、特に守護霊とか背後霊という形で、生きている自分たちを守ってくれている霊がいることは多くの人たちが知っていることだろう。
そういういわば“善霊”の人たちが、困り果てて落ちこむ時の自分たちにすぐに手をさしのべて助けてくれるか、と言えばどうやらそうではないらしい。
あくまでもこういう善霊は、私たちの魂の成長こそを願っているわけだから、そういうハードルを自力で克服することが生きている本人にとって一番良いこと、最も効果のあることだと知っているからだ。
要するに私たちは、その都度そういう背後にいる善霊からしっかりと見守られている、そしてある意味試されていると言ってよい。
自分がより優れた魂の持ち主になれるかどうか、それはあくまでも他でもない、自分自身の決断と実行によるしかないのだ。
悪霊ばかりに目を向けるのがスピリチュアルではない
ところで、スピリチュアルとか霊とかいうと、どうしても私たちは普通、胡散臭いハナシだという印象と同時に、実際にそういう霊の話になると取り憑かれるとか祟られるとか、悪いものとしか想いがちになる人も多い。
もしくは霊なんているわけがない、そんなのは戯れ言だ、と言う意見も多くある。
この2番目についてはあくまでも思想信条の自由だからそれでかまわないけれど、でもスピリチュアル的な考え方をひとまず信頼するとして、その実際を見てみれば私たちの身の回りにいる霊のうち、そうそう悪い影響を与えてきたり、取り憑いたりする霊というのは少ないと言われている。
実際それは生きている私たち人間社会の場合と同じで、そんなめったやたらにアブナイ人とか近寄ると危険な人というのがごろごろいるわけではない。
それどころか守護霊、背後霊というように、私たちを守ったり、それこそ善導してくれるような霊の方がずっと多いと言うこと。
これもよくスピリチュアルの理論の中で言われることだ。
ただ、落ち込む時というのは、結局私たちの心に隙間が生じやすかったり、弱っている時に当たるから、そういう時こそあまり良くない霊が寄って来やすくなる。
これは確かに言えるようだ。
だがそういうリスクも含めて落ち込む時、というのは自分の心の強さ、勇気や決断力が試される時でもある。
スピリチュアルというのはそういう風に生きている私たちの心の有り様を、霊という存在をプリズムとしてしっかりと良い方向に向かわせるための学問と言えるだろう。
私たちは孤独ではない
最後になるけれど、そういうわけで落ち込む時というのはいろいろあるし、くどいようだがそれをひとくちにまとめて考えてしまうのは軽率のそしりは免れなくなる。
でも、スピリチュアルな観点というのは、そういう自分が窮地に陥ったような時でも、
「あなたにはしっかりとあなたをしっかりと見守ってくれている誰かが必ずいる」
と言う考え方だ。
私自身、この一言でこの学問が言い表せていると考えている。
だから、ぜひご注意して頂きたいのは、そういう落ちこむ時と言うのはとかく自分に孤独感が押し寄せて来がちな時でもある。
でも決して一人ではないと言うこと。
しっかりと正しい行き方をしている限り、必ず背後で見守ってくれている人がついてくれているということ。
これをぜひ心の片隅においておき、落ちこむ時の悲しみ苦しみに、孤独という尾ひれを付けないよう、ぜひ心にとめておいていただきたい。
石井貴瑛 いしいたかあき