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厄年はお参りだけで十分かも?見えないものに振り回され過ぎるのはどうなのか

厄年はお参りだけで十分かも?見えないものに振り回され過ぎるのはどうなのか

厄年にお参りだけ済ませて、でもそれで幸せに過ごせた、という人も多い。
そういう人は幸せだな、と思う。

厄年は気の持ちよう。
それ以外の何物でもない。
でも、中途半端に怖がっている私などは、ひとまず一番お金のかからないお参りだけで済ませて気持ちも財布も充実させようという魂胆。
それで十分に世の中で通じている。笑

厄年にお参りだけでも行こうとする人、そうでなく全然気にしたことがない人、いろいろだし、それぞれの考えがあって良いと思う。

むしろそれを過度に気にかけすぎて、災難が起こったら約とか縁起のせい、とする女性も見かけないわけではない。

気持ちの持ちようとして大切なことが、こういうふうに厄年というイベントに振り回される中で学べそうだ。
どういうふうに考えていくのがベストなのだろうか?

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スピリチュアルは信じるけれど、それでも厄年には興味ない私

私は私で、厄年はとにかくお参りだけ済ませれば、お財布も両親も、そして自分自身の気持ちも晴れ晴れスッキリ。

だからあらたまって厄除けとか、お祓いなどを厄年に合わせてはしないタチだ。

お参りだけするのが経済的にも一番良いし、適度に自分の安心感ともバランスが取れている。
そもそも厄年にお参りだけするのと、厄除けのお札をもらったり、数千円以上かけて本堂の中でお祓いを受けたりするのと、ご利益的に何か違いがあるのか、というといろいろと意見が別れるかもしれない。

私は自分なりに、結局は自分の気持ちを満足させるためのもの、と考えている。

友人には、お参りだけでも一緒に行こうと誘ったりしても、全然そういうことを信じて行こうとしない人もいるし、中にはクリスチャンで一切シャットアウトする人だっていたりする。

だから私自身、そういう知人女性とのやり取りの中で色々と考えてしまうし、ぶっちゃけて言えば
「厄年を気にかけても災難には遭うし、かけなくても遭う。逆に災難に遭わないことだってある。お参りもそうだけれど結局してもしなくても一緒」
だ。

自分から進んで興味を持たないように努力していた部分もあるし、もともとある程度スピリチュアル的な経験もあったりする。
その視点から考えてみたとしても、
「それほどに大層な意味はない」
と考えるのだ。
稲荷神社

厄年の人と一緒にいると災難をもらう?

ところが世の中困ったもので、身近な人が厄年になると、その人とはあまり付き合わないようにしようとか、故意に遠ざけようなどと考える人がいたりする。

私の知人にもたまにいるけれど、そういう周囲への配慮なども考えなければならないのだろうか、と深刻に考えてしまうこともある。

現に友人の中にはある意味、そういう周囲の人を安心させるためにお参りだけはしようとする女性もいたりする。

厄年を気にしない、全然考えないのは個人個人の自由かもしれないけれど、親しい友人の中にはそれを随分気にかける人だっているのも事実だ。

要はそういう人たちに対して、どの程度まで気を使うべきなのか、なんだかとりこし苦労に見えるけれど、それ自体も人によりいろいろかもしれない。
ただ、人間というのは多かれ少なかれ周囲の人とはつながりを持って生きている。

だから私自身も悩むことがあるけれど、
「私はそんなもの気にしない。だから周りの人もそう思っていてほしい」
と勇ましく宣言するのか?

それとも
「私自身は信じないけれど、そこは周囲のことを考えて大人の判断かも」
と、最低限のお参りだけをやるべきか?

私は一応後者の立場になっているけれど、もちろん自分自身の気持ちも気遣ってのことだ。

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依存が過ぎることも問題に

厄年もそうだけれど、縁起が良いとか、方角や風水にこだわる女性は少なくない。

中でも私を含め、結婚を真剣に考えて出会いを求めてやっ気になっているアラサー、30代40代の女性だったら、確かに科学的な根拠とか意味は無いかもしれないが、
「それでも何か違いがあるかもしれない、親がお参りだけでも言ってきたほうが良いとか、いっその事お祓いしたほうが安心できるから」
と考えてしまうことも多くなる。

それで安心できればいい、ということも確かに言える。
だが、繰り返すけれど基本的にはお祓いなども科学的な効果はゼロ。

でも、そういう目に見えない物に振り回されるようになってくると、場合によっては際限なくその方向に満足感を求めていくようにもなる可能性がある。
怖いのはそれだろう。

テレビなどでよく見かけるけれど、自宅に大きな神棚を飾ったり、あちこちの神社仏閣を巡って何十何百もの御札を部屋に貼ったりしている女性もいたりする。

そこまで行かなくともいわゆる霊感商法によって、石とかツボを高額で買わせる人達がいる世の中だ。

あまりに依存しすぎることで、かえって自分で災厄を招いてしまう、それが結婚願望を通じて自分の心の弱さに付け込まれてしまう。
私たちが一番警戒しなくてはならないのはこれではないだろうか?

特にスピリチュアルな観点から話せば、よりどりみどりで集めてきた神社仏閣の御札を貼ってしまうとかえって問題が起きやすくなる。
よく言われることだ。
神主

自分の心を良くするために厄年を役に立てること

だから、私の中では厄年はお参りだけで十分だし、ちょうどよいバランスだと思っている。

他の方たちは自分の周囲とか自分自身の考え方に基づいて決めれば良いことだと思うし、あくまでもこういう縁起とか厄年などは、自分の心やそのバランスを良くするためのものだ、と考えるべきだ。

だから私の友人女子にもいるけれど一向にそんなもの気にせず、かえってそういう年回りのときには幸運なことさえ会ったりした、と豪語(?)する人だっている。

逆にその年になる前に災難が来たりした女性もいたりするし、そうなると
「一体厄年ってなんだろう?」
と真剣に悩むかもしれない。

でも人は人、自分は自分、という自己主張も一方で大切だ。
そういう心のバランスを保ち、育てるために「厄年の厄は役」。
ぜひ役立てていただきたい。

神野天希(かんのあまね)

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