Read Article

結婚のタイミングとかきっかけ 何がベストで何を避けるべきなのか

相手の彼氏と付き合ってそこそこ、想いもだいたいお互いにバチバチで良い感じが続いている。
そうなるといざ結婚にGO!

というのが人情だけれど、
じゃあほんとにほんとのベストな結婚のタイミングとかってどんな?
とひと呼吸置いていくべきかもしれない、というのが今回の話。

そんなものはぶっ飛んで、私たちはお互いに通じ合って不動の関係なんだ!
と誇れる方はそのままいつでも行っちゃうなら、それも運命だろう。

けれど、そこにはやっぱり出会いのきっかけから付き合いのいきさつなどなど、いろんなバックもあったりする。
だから気持ち的にはいやだとしても、立ち止まって考えてみても損はないと思うのだ。

結婚のタイミングでベストな考えとか行動とは何か?
出会いのきっかけも含めて今回はいろいろ語ってみよう。

スポンサードリンク

二人が「順風満帆」の中にあるのが基本?

結婚のタイミングで何が一番オススメかというなら、何と言ってもまずは
平穏無事、そして社会的経済的にもまあまあの良さが続く、つまり順風満帆な時。
というのが多数派だろう。

結婚に当たって何よりも真っ先に立ち塞がるのは、お金の問題。

それから家庭生活をスタートさせるための環境作りとかになる。
そして親族縁者の関係だってもちろん大切になるわけで、言ってみれば二人ともお互いに親族縁者の数がその後は倍になるわけだ。

手数とか面倒という言葉はあまり使いたくないけれど、確かに居を構えて落ち着くとなると、そういう「付き合い」だってひと回りふた回り重大になってきてしまう。

こんな大きな環境の変化とか出費とかを、ひとまず一番楽に治めてくれるのは、やっぱりそういったお金とか生活環境がそこそこ良くなくてはどうにもならない。

そこで深刻なケースを紹介なんだけれど、よく耳にしたりするのが

ー気持ちが先立って結婚まで行き、子供もできたんだけれど経済的な事情がなかなか改善しない。それに先行きも明るくなるような見込みもなさそうだから、そんな悲観的なムードの中、子供が小さいのに結局離婚を選んでしまったー

という話。
離婚の事情もいろいろだけれど、その中でも経済的な問題というのはやっぱり大きいはずだ。
だから、先の安定をお互い考えるとしたら、ひと呼吸待って「急がば回れ」とやるのも十分褒められてよいと思うし、そういう心の余裕をぜひ持つべきなんだろう。

「試練」を理解し合えて、あえてそんなときに一緒になるのも手?

ただ、ここで一応話としてあげておきたい。
確かに、こんな不景気な中だから、
なかなか困窮とかで良い状態へと抜け出せない。結婚したい、とお互い頑張っているというのに。
というケースも絶対多いはずだ。

でもそういうさなかにいる人たちには、だからといって過度に悲観的になるのもどうかと思う、と言っておきたい。

経済とかお金とかは確かに大切だ。
これ本当にわかる。
とても切実な話だ。
とりわけ子供ができれば、その子の将来とか教育をどこの家庭だって絶対に念頭に置いて、最優先で動くはずだ。

ただ、それでもよくよく考えてみていただきたい。
たとえば今から何十年も前の日本では、戦後そして高度成長の前でもあったわけで、貧しいのはどこでも一緒だったはずだ。

聞いたことがあるけれど、その当時は健康志向でもないのに玄米ばかり、サツマイモばかりを食べていたらしい。

それでも昔の人たちは、懸命に頑張って家庭を維持して子供を育て、ちゃんと今の平和国家日本を支えてくれている。

貧しいのはわかりきっていたことだった。
けれどもそんな中、どの家庭でも夫婦が協力し合って乗り越えてきている。
そんな過酷な現実に根を張って、子供たちの幸せを願いながら生きていてくれたのである。

だが十分ありうる話として、そういう厳しい生活環境で頑張っている人たちはもちろん今だっている。
むしろそんな昔のハナシでなくてもこの不況の中、そういう風にして子供を作って夫婦そろって頑張り続けている家庭って多くないだろうか?

なおお断りしておかなければならないけれど、アラサー独身の私など、こういうことをドヤ顔して言える立場じゃない。
本当に十分承知している。
むしろ身を引いて発言を引っ込めておかなければならない。

だから、というか、ここではただ淡々として、今の日本の「実情」を語っている、それだけに過ぎない。
それを伝えたいために、最低限これだけは話すのを許していただきたいと思ったわけだ。
そう思っていただければ幸せだ。

もちろんだけれど、私など「だからがんばってほしい」とか絶対に言える立場じゃない。
そんなあえて苦労を背負い込んで、大きなリスクなるのを承知で家庭を営む、繰り返すけれどそういうことはぜったい安易に口にはできない。

決しておすすめもできない。
けれど二人のどこかにそんな気持ちの「熱さ」があるというなら、その時は
「でももしかしたら」。
そんなふうに「触れる」のみで精一杯だ。

スポンサードリンク

本当の愛情がなくても子供はできる!?

残酷な言い方で申し訳ないけれど、現実を見ていけばこういうしかない。

確かに
「結婚のタイミングとかきっかけがいつとかどうとかのテーマで、なぜこんなことまで?」
になってしまう。

だがよくよく考えてみると「愛情が本物ではない」「本当の愛情が芽生えてない」のに子供ができるケース、というのは全くあり得ない、とは言えないはずだ。

あからさますぎて申し訳ないけれど、それでもこう言っていること、ある程度実社会での経験を積んだならなんとなくでも分かると思う。

子供というのは結婚した二人の愛情の結晶というべきなのかもしれない。
けれど、そういうのは頭の中の理想まででしかなかった、という現実は、言うのもつらいけれど確かにあるのかもしれないし、現実を見ればそういうふうに見えるケースだって全くないとは保証できない。

たとえば、特にそういうケースに当てはまりそうないきさつとして、出会ってすぐとか交際の期間がほとんどない、その場のノリとか、ぱっと見のルックスとか経歴、職業などがあまりにまぶしすぎ、きらびやか過ぎて幻惑し、結局付き合って間もない頃に一緒になってしまう。
よく耳にもする話でもある。

それでその後の家庭生活が上手くいけばよいのかもしれないけれど、そういう「第一印象」が強すぎる場合、相手の他の部分にはなかなか目が届かなくなるのが人情でもあるはずだ。

そんな場合、まだ付き合いのはじめの頃でもう子供が出来たり妊娠したりするケースだってないとは言えない。
愛情の形もいろいろかもしれないけれど、二人の愛情、というよりは「勢い」の結果、というケースも考えられるのではないだろうか。

とりわけありそうなのは、目に見えない部分、気持ちの合わせ方とか相性とかの隠れた部分を見るのが甘くなる、ということ。

付き合って間もない当初で結婚してしまうと、そういう陰の部分が見えないから、本当の愛情になっている、とは限らないかもしれない。
そんな中で早々と子供が生まれても、ある意味それまで「夢見心地」で過ごしていた二人にとって、その後に現実の生活の厳しさが絶対に追いかけてくる。

これも独身者の私がドヤ顔で言うべきではないのだけれど、家庭生活というのは子供も含めて全員が腹を割る、短所長所も飲み込んで認め合って、ある意味強引に一つ屋根の下で長らく暮らすことになる。
たとえ結婚前にそれが知識として分かっていた、自分たちのそれまでの両親との生活の中で薄々感じていた、としても、今度は家庭を持つことで社会とか周囲に対して生じる「責任」は二人にハンパなく直撃してくる。

よく私も友人知人と話の中に持ち出すのだけれど、結婚まで考える相手ができたり今いるとしたら、最低でも1年くらいは付き合いを続けてみた方がよい。
出会いはじめなどでよく相手の男性がすばらしすぎて目がくらむというか思考停止してしまうというか、そんなふうにして

この人こそは運命の人!
この人とすぐに結婚すれば間違いなく幸せになれる!

といったケースとか、そういういわば情熱的な女性だっていなくはない。
でもそういう情熱というのは、ひとたび相手の男性の中に何かしらの「見たくない欠点」とか「知りたくない短所」が垣間見られただけで負に向かい、またたくまに冷めることも多いはずだ。

そしてその後は、他のふつうの男性以上に相手の彼氏が疎ましく感じることだってないとは言えないし、すでに結婚しているなら、すぐに別れ話へとshiftしてしまうことだって考えられる。
一つまちがえば、その後の一生にも影響しかねないハナシになる。

これを防止して、その後の結婚生活をつつがなく遅れるようにするための下準備。
それが1年以上交際して、相手男性の有りようを観察していこう、というのが趣旨だ。

「想い」が先立つと冷静さや理性が沈んでしまう

多分ここまではどんな女性もだいたい理解はしていると思う。だからあらためて私のような女が持ち出す必要もないかもしれないけれど、人間というのは本当に複雑やっかいなところがあって、そんなふうに

頭でわかりきっていても、感情や想いが先に立ってしまう

場合が多い。

自分で「それはダメ」とわかっていても、彼氏への想いとか、それまでの二人の関係とかを思い出したり感じ直したりすると、そっちの方へと自分自身がシフトしてしまう。
こんなのも人情あるあるだし、だからいろいろ失敗が出てきたりするわけだ。
 

家族や親族友人などに「訃報」が舞い込んだらどうする?

いろいろ語ってみたけれど、内容的に私のようなアラサーが言える立場じゃないかもしれない。

結婚という言葉自体がある意味私にとって憧れ、を通り越して他のもっと強い意味を持ったりすることもある。
それこそ頭の中でだけのこととか人と話したりする上で、宿命的に話題のポイントになるものでもある。

で、そんないわば「避けて通れない」話の一つとして、もしも結婚を目前にしていながら、その間に二人の家族や親族に訃報があったらどうするだろうか?
要するに、訃報の際に結婚や結婚式を延期するかどうか、という話になる。

親族や家族への配慮とかも含めて、いろいろな案が二人の間に出てくるにちがいないが、これは私もなんとも言うことが出来ない。

それこそ結婚のタイミングに直接影響してくる事情だし、式の予約や準備が申しているとなれば、一周忌が過ぎるのを待って(大方は多分これだと思うけれど)あらためて式の予定や予約、そして友人知人や親族への声がけなども行わなくてはならなくなる。
容易に予想はできるだろうけれど、こういう再度の根回しについては、最初よりも難しくなることも多いだろう。

そしてまた、式自体。
延期した後挙式に及ぶ、ということになるわけだけれど、あらたに諸事情が加わったりで断念という選択も出てきたりするはずだ。

そんな中でもなお強行的に行うという手もあるかも知れない。
逆に挙式を断念するという選択肢もあったりするかも知れないけれど、いずれとしても後々二人の間で気持ち的に尾を引くことだってないとは言えないし、こういうメンタルな面が実は一番その後に影を落とすんじゃないだろうか。

考えるほどにすごく重くなる「もしも」だけれど、そういう時には、と言うかそういうときにこそ二人はお互いにお互いを理解し合おうと努力して、じっくりと話し合ったり、譲歩したり、あるいは勇気をふるって決断したりする必要が出てくるんじゃないかと思う。

そして後は二人の決断次第。
それこそ上で言ってみたとおりの親族や社会、職場に対する「責任」をしっかり受け止めて行動すること。
このあたり、軽々しく口にしてごめんなさい、と再度申し上げるしかない。

その結果それこそそこには二人の関係は言うまでもなく、親族とか職場、そして社会的なありようも絡んでよくよくの配慮が必要になるだろう。

でもその後の家庭をしっかり築くためにも、しっかり向き合わなくてはならない「試練」のようなもののはずだ。
今まさにそういう渦中にある二人も多いと思うし、他人事のように言ってしまって申し訳ないのだけれど、ぜひ乗り切っていただきたい。

丸山さくら

スポンサードリンク
Return Top