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お参りで作法を間違えた?それより誰も知らないけれど一番大切なことがある!

お参りで作法を間違えた?それより誰も知らないけれど一番大切なことがある!

この時期社寺仏閣という、普段馴染みのないところにお参りに行くことが多くなる。
その際、いろいろと作法が多くて知らないと間違えた!といっても後の祭りになることも多い。

だからそれを知ることも必要なのだが、実のところお参りに際してはそういう作法よりももっと大切なことがある、ということを知っているだろうか?

それこそ一番大切なこと。
それと比べれば、作法を間違えたことなどはまだ小さい、といいきってもかまわないだろう。

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基本的なお参りの作法一式は覚えておこう!

ただ、それでも最低限お参りに行く時の作法は知っておく必要があるから、その一番大切なことを語る前に、実際にお参りした時に困らないようにざっと確認してみよう。

といっても、たいてい大きな神社やお寺では目につくところに具体的なお参り、祈願の作法については困らないようにやり方が一式書いてあるもの。
それでも分からなかったら、神社やお寺の関係者に聞いてみるのも手だ。
手順をざっとご紹介してみよう。

1.鳥居の前(お寺は山門の前)で一揖(「いちゆう」おじぎのこと)。
2.参道は端を歩くこと。
3.手水舎(「ちょうずや」)で手と口をすすぐ。
①右手に柄杓(ひしゃく)を持って水を汲み、左手を洗う、
②次に左手に柄杓を持って同じように右手を洗う、
③再び右手に柄杓を持ち、左手の平を丸めて水を受け、それで口をすすぐ、
④柄杓をタテにして柄に水を流して洗い、元の場所に伏せて返す。
4.参拝。神社だったら一揖、賽銭、鈴を鳴らす、二礼二拍一礼の順。
  お寺だったら一揖、賽銭、合掌とお祈り、一揖の順。
湊川神社
慣れないと特に手水舎は難しいかも知れないけれど、分からなければ大雑把で大丈夫だと思う。間違えたとしても慌てないこと。
私もよく間違えているし。笑

お参りで一番大切なこととは

さてそういうわけで、お参りの作法、大体のことは上記で間に合うかも知れないが、あくまでも一番大切なものを表すための形式的なものでしかない。

では一番大切なものというのは何かといえば、心。
神様仏様と心を通い合わせる、もしくはそういう努力をすることだ。

大体こう言えばおわかりになると思うけれど、心のあり方というのがお参りの本来の核心であるはずなのだ。

いろいろな事柄を祈願することはよいけれど、それが神仏に一番届くように努力する、そういうことがお参りには第一に求められる。
すごくスピリチュアル的なことになってしまって、非現実的に聞こえると感じる人も多いかも知れないが、よく考えてみれば神社とか仏閣というのは、大元的にはそういう神仏との本当の交流を目指してつくられたもののはずだからだ。

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どういう心のあり方で祈願するべきか

だからそういう神社やお寺に行って祈願する時には、しっかりと自分の心のあり方を見直す必要がある。
それは何も難しいことではない。

一つ目には何を祈願したいのか?
二つ目にはその祈願の内容が神仏にとって喜ばしく感じてもらえることなのか?
三つ目には本当に真剣に祈願しているのか?

こういったことを念頭に置いておけばよい。
そして実行。本当の祈願をするということだ。

なまじ作法や形式など、見かけだけにとらわれてしまうとこういう本当の大切な祈願の内容をうっかり忘れがちだし、そうでなかったとしてもそういう場所にもう出て祈願の「行為をしてきた」だけで自己満足に終わってしまうこととなりかねない。

私が作法は知っておくべきだけれど一番大切なことではない、という理由はまさにここにある。

参拝者はちゃんと見られている!願いが届くか否かは祈る人次第!

神様の方にしてみれば、そういう参拝者とは心で通じ合っている。
だからお参りに来た人がどんな心根でどのくらい真剣に正しい内容の祈願をしているのかをしっかり見てくれている。

神様にとって喜ばしい祈願の内容というのは、まず自分だけとか独りよがりの様なものではなく、多くの人たちや隣人の幸せを願うことといわれている。
そしてそういうお祈りを、真剣にしている人の願いこそが一番聞き届けてくれるものだということだ。
和服女性
だからわざとやる人はいないだろうけれど、作法を少し間違えた程度のことはそれほど大きなことではない。
神様に通じる、喜ばれる祈願をしないでいる方こそが問題視されると言って良いかも知れない。

心は人と神様との橋渡しツール

こんな情報は、相当レアだと思うし、読んだ方は滅多に目にされない情報と思われるかも知れない。
でもスピリチュアル的な思考でもそうだし、話は戻るけれどもそもそも神社仏閣の本来的な役目は、そういう神様仏様との橋渡しを担っているはずだ。
そしてその橋渡しのツールは心しかない。

それがいつの時代も政治とか儀礼という現実的な都合や方便の中に埋もれてしまっている、と言って良いかも知れない。

この知識は、たまたま私が興味を感じてあるそういう筋の人からうかがった時の内容をまとめてみたものだ。
私もこの話を聞いてものすごく目から鱗が落ちた感じだし、同時に今まで何気なく行って手を合わせていた神社などを新しい目で見ることができた。

そういうわけで、お参りの時には単に作法だけではなく、以上のことを参考にされて、本当に大切になる祈願とは何かを、ご自身の中でぜひ考えてみていただきたい。

神野天希(かんのあまね)

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