写経が今、静かなブームだ。
その効果もいろいろ言われていて、中には実証してネット上で説明している方だっていたりする。
でも写経はそういう目に見える効果だけでなく、スピリチュアル的に見てどんなものなのか、興味のある方もいるのではないだろうか?
お経を単に書き写すだけのシンプルな写経だけれど、その効果は私の見たところでも、確かにスピリチュアル的によいものをもたらしてくれるようだ。
もちろん写経の仕方にもよるだろう。
そういう効果をスピリチュアル的な面からも見ていきたい。
そして確かにオススメできる、そういう理由と一緒にお伝えしてみよう。
写経の一番の効果は「ストレス解消」「頭がスッキリ」?
スピリチュアルな事はまずさておいて、私が写経をオススメする一番の理由を挙げるとすれば、現実的にすごくメンタル的に健全になる効果を期待できると言うことだ。
つまりこういうものはスピリチュアル的な効果をつい期待してしまうけれど、それを考えなくともすばらしい、ということ。
具体的に言うと、ストレスの解消、そして気持ち的に落ち着きをもたらしてくれて、頭をスッとさせてくれるという効果になる。
なぜかと言えば、お寺でしか接することのないお経の文句や意味に一字一句、長々と取り組んで書くことで、日常的な諸事から離れて没頭することになるためだ。
人間ストレスが溜まっていたり、雑事に追われているときにはとかく思考がない交ぜになって整理が出来づらい。
でも、そういう頭や心のゴチャゴチャを一気に忘れさせてくれ、清澄な仏の教えに向かわせてくれるチャンスでもある。
なお、写経で一番ポピュラーでおすすめなのは何と言っても「般若心経」。
下の記事にまとめてみたけれど、短くて、しかも仏様の教えが最大限に凝縮されているというありがたいお経だ。
般若心経の効果は本当?奇跡が起こるという声もあるがその実際とは
神仏が本当に存在しているかどうか、スピリチュアルな話に怪訝に思う人も多いに違いない。
けれど、そういう人は神仏というのは“人の心の有り様”と考えれば良いと思う。
つまり私たちの心のよりもずっとすばらしい、理想的な心の有り様。
それが神仏のことだ。
お経の意味が分からなくてもOK?仏様に気持ちが向かえばGJ!
ただ、写経をされている人の中にはあの難しいお経の一言一句の意味を知らない人の方が圧倒的に多いだろう。
でも私はそれでも良いとさえ思っている。
なぜかと言えば、それでもやはりお経を書くことに集中すれば、毎日のイヤなこと、煩わしいことから頭を切り離すことが出来るためだ。
もちろんスピリチュアル的に見ても、清澄な意識と高い霊界とのつながりを期待できるわけだから、そこにはちゃんと道理もある。
確かに写経の対象になっているお経の意味を知っている方が効果も上がるかも知れないし、より一層仏様の世界の大きさを感じることが出来るに違いない。
でも変な話だが、スピリチュアル以前にそもそもお寺のお坊さんだってお経の本当の意味を知っている人というのは少ないのではないだろうか?
というか、そもそもお経自体がお釈迦様のいた時代につくられたものでないものが大半だし、実際にはその弟子とか又弟子などの考え方だって及んでいるに違いない。
さらにその先のどんどん時代が下って、その時の僧侶が作りあげた教理だって入り込んでいたりする。
言ってみれば、お経の本当の意味を考えれば考えただけ、迷宮にはまるようなものだろう。
実際私の知り合いには年配のご住職などもいるけれど、その人も般若心経というあの名高い、そして短いお経の本当の意味なんか知らない!と“豪語”したりしているのだ。
だから、写経の効果を期待するならば通り一遍のお経の意味を知っておけば良いだろう。
それより大切なのはなんと言っても“書く作業”。
写経という作業に没頭することではないだろうか。
自分自身の心のあり方を見直し、整理して正していくこと
そして何よりも本当に大切なのは、やっぱり心が仏様に向かうこと。
神仏に向かい合うことでその大切さを実感し、敬虔な気持ちに立ち返って心を落ち着けて行くことだ。
繰り返すけれど、写経の本当の意義というのはそこにあるのではないだろうか。
思い込み上等!スピリチュアル的に間接的な効果はアリ?
でも中には
「イヤそんなわかりもしない文字の羅列をもったいつけて書き続けたって、自己満足にすぎない」
「そんなの単なる思い込みでしょ?実際写経続けてお金持ちになったり出会いが出来たりするわけ?保証できるの?」
みたいに、それこそ現世利益のみを視野に入れてもっともな理屈を立てる人だって多い。
もちろんこういう意見、一理も二理もある。
でも特によく考えていただきたいけれど、別に害悪などなければ“思い込み”でもよいのではないだろうか?
それこそお経の文句の意味が分からないままでいるのと同じだけれど、大切なのは、繰り返すけれど実際にそういう作業自体。
お経を書くという作業を続けていくことが大切なのだ。
話は戻るけれど、そう言う継続的な、根気のいる作業を通じてストレスの解消や思考の整理、そしてひいてはスピリチュアル的に良い結果を持ってくることになるからだ。
間接的になるけれど、そういうスピリチュアル的な効果はあるのではないだろうか?
枯れ尾花も幽霊に見えれば心の一大転換!写経も同じ?
私もスピリチュアル的なことには興味があるし、また自分なりにそう言う経験をしたとも考えている一人だ。
けれどその私の目から見ても、人の心とか思考は、すごく思い込みに左右されやすいのではないだろうか?
よく言う、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というヤツ。
たとえ本当は枯れ尾花だったとしても、本人が幽霊だと思い込んだら、それはその人の中では幽霊がいたというのは事実に違いない。
そしてその人にとって一大事件だ。
そうした心のあり方の大きな転換を狙うもの。
その一つが写経と言って良いかも知れない。
最後に−怪しげなキャッチや宣伝にご注意!
こうしてその効果についてお話しすると、興味を持つ方もいるに違いない。
そしてまたスピリチュアル的なことというのはやっぱり私たちの心の有り様と切っても切れない部分が大きいから、絶対に何らかのそういう効果もあるにちがいない、と。
そういう方たちのために、最後になるけれど簡単なご案内をお伝えしてみたい。
ご案内と言っても、結局今のネットの世の中は写経の効果とかスピリチュアル的な内容についていくらでも検索できる。
具体的な書き方、進め方だって満載している。
だからそれについてはあらためて私が語るまでもないし、ネットで見ればけっこうお寺などでも写経のイベントは開いていたりする。
多少出費はあるけれど、その効果を実際に体験したり、スピリチュアルや精神修養を目指して取り組むのも良いかも知れない。
けれどこの世の中いろいろある。
とりわけ実利的な効果ばかりを強調して、開運とか金運などを全面に出してくるようなケースもないわけではない。
あくまでもこういうものは純然としてスピリチュアル的な、自分自身の心のあり方を正しくしていくのが本当の目的であり効果になる。
だから自己責任であるけれど、そういうキャッチのようなものにはくれぐれも惑わされすぎないよう、ぜひしっかりしたネットリテラシーをお忘れなきよう願いたい。
神野天希(かんのあまね)