守護霊というのは誰にでもついていて、私たちを守ってくれる。
その守護霊へはやっぱり感謝したい気持ちがわく時がある。
その感謝の伝え方というのをぜひ覚えておいていただきたい。
決して眉唾なものではなく、たった二つの方法しか無い 。
そしてこれ以上はない、最高の感謝の伝え方というのが確かにある。
守護霊と私たちとは心で繋がっている。
これがヒントにもなり、唯一感謝の伝え方など、心からの結びつきができるようになる。
最高の感謝の伝え方は、守護霊が喜ぶことを「実践」すること
ということは、どうやったら私たちが守護霊に対して最高の感謝の伝え方ができるというのだろうか?
これは私たちが命を与えられて現世で生きていることがヒントになっている。
守護霊に対する感謝の伝え方は、その生身の私たち人間が、どんなことをするかに左右されるかということだ。
神仏を賛美する祝詞やお経をひたすら読む?
教会で神をたたえる賛美歌を歌い続ける?
確かになにがしかの功徳(くどく)めいたことはあっても、実はこれらは最高ではない。
私は断言してしまう。
これはシルバーバーチという有名な高級霊が語っていたといわれているけれど、守護霊へ最高の感謝の伝え方は、結局のところ私たちが何をするか、つまり実際に行動することがまず大前提だ。
その大前提の上で、そういう高級霊が喜ぶ行いを実際にしていくこと。
それが感謝への秘訣になる。
[その1]口は「道具」!心で伝えることを忘れずに
確かに守護霊へと口や文章を駆使して伝える方法は、一つの感謝の伝え方でもある。
でもそこにはあくまでも私たち人間が、この世に生まれて行動するという大切なものが抜けている。
ある意味口や文章だけで守護霊へ伝えるのは簡単すぎるのだ。
そこに「心から」そのような言葉を言ったり文章を書いたりしているのなら、まだ良い方かもしれない。
でも中には心が全然こもっていないような口先だけ、手先だけの感謝の伝え方をしている人だって多い。
別に私たち凡人だけの話ではない。
小桜姫というある高級霊の姫君の話では、現世で「偉人」とされるような人物でも、まさかと思うほどに霊性のレベルが低いような場合も少なくないという。
なお、小桜姫とは心霊研究家・故浅野和三郎氏の妻、多慶子氏の主護霊で、現在三浦半島「若宮神社の」祭神の一人になる。
浅野和三郎氏が妻、多慶子氏に彼女を入神させて口述した著書が「小桜姫物語」として昭和4年以後出版され、今日に至っている。
その中の一節が上の内容だ。
あくまでも口とか筆は「道具」。
それを駆使して素晴らしい文章や口伝を残すのは良いけれど、それらが表す心をも持たなくては意味が無い。
肝心のものがすっぽり抜け落ちてしまってはいけないのだ。
[その2]自分自身が幸福に生きることを目指す
そして、それを前提にして
のことになるけれど、その身をもって守護霊へ自分の気持ちを送る、感謝の伝え方
というのがある。
それは自分自身が幸せになること。
幸福に生きることを目指すことだ。
幸福というと一口にはなかなか意味が広いかもしれない。
女性だったらやっぱり好きな人と巡り会って結婚し、よい子を授かって円満な家庭を築いていく。
そういうことになるだろう。
けれども私自身、身につまされていることが多いのだけれど、そうそう人間の一生というのは順風満帆ばかりではない。
波風も立つし、谷底にまで落ち込むことだって多い。
下手をすればいわゆる“不幸のどん底”にまで陥ってしまうことだってあるだろう。
でも、だからこそ幸福に生きるという意味は大きいはずなのだ。
幸福に生きるというのは、そういう窮地とか一番大変な中にあって、きちんと心を正しくして守護霊は「ありがとうございます」と伝え、然も明るく笑顔で過ごしていられるようにすること。
そのような、いわば現世での生活の中にもまれながらしっかりと心を形成し、喜びを守護霊に伝えること。
最強の感謝の伝え方はこれしかないだろう。
決して私ごときが口で軽々しか言えないような場合もたくさんあるに違いないし、そんな当事者自身でなければ口にできないようなときもあるかもしれない。
でも、心と行動は背中合わせ。
一致していなければウソなのだ。
心も行動も喜びと感謝を表すこと。
これをぜひ心にとどめていただきたい。
守護霊も人間を通して修行している!
ところで、ちょっと考えていただきたいことがある。
守護霊へ感謝の伝え方として、その気持ちをまず伝えること。
それは素晴らしい行為に違いないけれど、そんな守護霊はなぜ私たちを守護しようとしてくれているのだろうか?
死んだ親や先祖が私たちを守るというのならまだ実感もあるし、納得できる話しかもしれない。
けれども守護霊というのは基本私たちと血縁でもない、「見ず知らずの人たち」だ。
でもここにやっぱりこの世とあの世を結びつけている大きな“決まり事”があるようだ。
私たちには人に親切な行いをすることで気持ちが良い、という体験をよくするし、人に親切にするように言われたりする。
でもこのことはごく大雑把に捉えれば、あの世の人たちにも共通することだ。
人に親切にすること。
人の助けになるようにすること。
この世で手放しに言い切るのはいろいろリスクが伴うけれど、でもこれが基本的にこの世もあの世も一貫している決まり事となる。
そんな考えからすれば、守護霊というのは私たちを守ること、それに努力することで、自分たちも霊格を高める修業をしている。
私たちが幸福になる努力をすることで、守護霊もまた、言ってみれば幸福になっていく。
そんな”持ちつ持たれつ”がお互いにあるようだ。
いかがだろうか?
何かの気づきになっていただければと願いたい。
神野天希(かんのあまね)